こんにちは、Camel Loop (@Camel_Loop)です!
今回は僕たちが2017年11月に訪れた、キューバについての記事です。
メキシコで死者の日を体験した後の出来事ですね。
オバマ大統領の時代、54年ぶりにアメリカとキューバは国交を回復させました。
トランプ政権になり、再び対立姿勢となる動きもあるものの外国人観光客は増加しています。
他の国にはない異彩を放ち、それゆえに独特の魅力を感じさせるキューバ。
まずは首都・ハバナについて、7つのキーワードと共にまとめました。
それではどうぞ!
目次
社会主義
キューバは15世紀から、スペインの植民地でした。
しばしば独立運動が起こり、ついに1902年、スペインから悲願の独立を達成。
ただしそれは、アメリカの保護国としてでした。
大量のアメリカ資本が投下され物質的には豊かになったものの、独裁政権により貧富の差は深まるばかり。
そんな中起こったのがキューバ革命です。
フィデルとラウルのカストロ兄弟や、アルゼンチン生まれの医者チェ・ゲバラらが中心になって武装闘争を起こし、政権を掌握しました。
そしてキューバはソ連を中心とする社会主義国の仲間入りとなり、アメリカとは断交し対立関係となりました。
現在にいたるまで社会主義を維持しているのですが、旅行者の立場からそれを実感できたことは、予想以上に少なかったです。
とはいえ当時はなんとなく見ていた景色も、今思い返せば「そういう事だったのか!」と合点がいくことも。
例えばスーパー店内の様子。
ひとつの品目につき1ブランドが基本で、選択の余地がありません。
これも考えてみれば、ブランド間による価格競争が必要ないからですね。
そして、スペイン統治時代の建築群が残るハバナの旧市街。
今にも崩れ落ちそうな建物もありながら、なんともいえない美しさを感じました。
他の国とはどこが違うのだろうと考えると、広告がないのです。
新市街にも、このように企業の看板等はありません。
一部をのぞいて基本的に全員が公務員となり、平等に給料が支給されます。
配給制度もあり、最低限の生活は保障されているためか、夜でも治安の悪さを感じませんでした。
必然的に働く意欲のない人をたくさん生み出すことになりますが、貧富の差をなくし、生活に困窮することがないというのは良い側面だと思います。
マイペースに、のんびりと暮らすライフスタイルというのはキューバ人の気質に合っているのかもしれません。
それでも、資本主義に影響を受けた人たちは独自で稼ぐこともあるようです。
僕たちが見かけたのはwifiカードを販売する人や、連れている犬に仮装をさせて(葉巻・帽子・メガネ)観光客に写真を撮らせて代金を徴収する人など。
カストロが2016年に亡くなったこともあり、徐々にキューバの生活も変化を遂げていました。
クラシックカー
事前情報により古い車がたくさん走っているのは知っていましたが、これほどすべての車が古いとは思いませんでした。
見たことないような車ばかりが、いまも現役で走っています。
アメリカ統治時代から走り続けている車がほとんどで、経済制裁により輸入車を禁止されていたことが理由。
車に詳しくない僕でもワクワクしたので、詳しい人が見たらもっと大変だと推測します。
ハバナの街を歩いた時インドのコルカタに雰囲気が似ていると思ったのですが、そんな中にクラシックカーが走っているという対比が面白かったです。
やはり、この国には他に類をみない独特さがありますね。
通貨が2種類
兌換ペソ(CUC)と人民ペソ(CUP)の2種類が流通しており、2通りの物価があります。
基本的に外国人はCUC(=米ドルと同レート)のみが使用可能とされていますが、僕らも人民ペソを使おうと思えば使えます。
とはいえCUPが使える場所は
このように完全ローカルなお店のみとなります。
バックパッカー中であれば積極的に使っていたはずですが、短期旅行中の身でほとんど使用する機会はありませんでした。
ただし3CUP札は銀行で大量に両替をし、手に入れました。というのも
この人の肖像が使われているからです。
下につづく。
チェ・ゲバラ
僕がキューバを旅先に選んだ1番の目的が、チェ・ゲバラの足跡に触れることでした。
昔観た映画『モーターサイクル・ダイアリーズ』で知って以来、ずっと気になっていた存在。
革命博物館ではゲバラゆかりの品や、当時の写真が展示されていました。
やはりカッコいい!
ゲバラの家にも向かい、目の前まで来たもののあえなく閉館時間となってしまい門前払い…。
遠巻きに写真のみ撮って帰りました。
ハバナの街角では、至るところでゲバラの肖像を見つけました。
まさに国民的英雄。そして国の象徴にもなっているゲバラですが、先述のとおり彼はキューバ人ではありません。
アルゼンチンで生まれ、キューバの歴史をつくり、ボリビアで倒れた彼には今も人を引きつけるヒロイズムがあるのでしょう。
念願だった、革命広場前肖像の写真。
ゲバラの隣、カミーロ・シエンフエゴスも僕は結構好きです。
ヘミングウェイ
チェ・ゲバラと並び称されているのが、文豪アーネスト・ヘミングウェイ。
アメリカ人の彼は、キューバで22年間を過ごしました。
ここハバナでは、彼の定宿『アンボス・ムンドス』や行きつけのバー『ラ・フロリディータ』が観光名所となっています。
最近観た映画『ミッドナイト・イン・パリ』にも登場したヘミングウェイ。
相当豪快な人物だったようです。
カサ・パルティクラル
民宿・民泊のことをカサ・パルティクラルといいます。
目印は青い錨(いかり)のマーク。
このマークが、民宿として政府から認可を受けた証明となります。
認定されるには厳しい基準をクリアしないといけないので、旅行者としては安心して宿泊ができました。
街を歩けばたくさんこのマークを見かけましたが、僕らは前もって日本で予約をしました。
booking.comなどアメリカのウェブサイトは使えないため、HPから直接メールで問い合わせをし、予約手配となりました。
僕らが宿泊したのはCasa Colonial La Terraza というカサ。
多少中心部から距離はありましたが、僕らが体調を崩していたときにオーナーがスープを作ってくれたりとアットホームで快適な滞在ができました。
ちなみに錨マークが赤い表示だと、キューバ人用民宿となります。
外国人は宿泊できないのでご注意ください。
音楽
ハバナを歩くと、どこからともなくサルサの音色が聞こえてきます。
もはやキューバ人の生活には音楽が欠かせず、密接に関係しているようでした。
特に夕方を過ぎた頃になると、サルサに合わせて陽気に踊っている人がたくさん見られました。
短い動画で恐縮ですが、↓ このような光景がいたるところで見られます。
まとめ
ハバナの魅力を、7つのキーワードに分けてお伝えしました。いかがだったでしょうか?
キューバを訪れた旅行者からはしばしば「数十年前にタイムスリップしたように感じる」という声が聞かれるそうです。僕もそのように感じました。
路上を古い車が行き来し、行商人が大声を出しながら歩く。
商業的な看板の一切ない、今にも崩れてしまいそうなビル群。
海外との貿易が長年絶たれていたことが生み出した、奇跡のような場所。
少し前の時代の日本にも、似た雰囲気があったんじゃないかなと思います。
高層階に住む住人が行商人を大声で呼び止め、ロープを結んだバケツに代金を入れて下ろすといった独特の風習も見ることが出来て、街歩きに飽きませんでした。
この時に訪れたのはハバナとバラデロのみだったのですが、4泊5日ではまったく時間が足りませんでした。
「今キューバに行かないと、これからどんどん変わっていってしまう」とは、僕がバックパッカーをしていた2011年頃からずっと言われていたことです。
カストロ政権が終わり、時代の過渡期にあることは確かなキューバ。
アメリカとの国交状況にもよりますが、これから中国などの資本が進出してくるのかもしれません。
物資が豊かになることは国民にとって良い面はありますが、今のように陽気でユルい雰囲気は変わらないでいてほしいところです。
あなたもぜひ、その目で確かめに行ってみてください。
バラデロ滞在についてはまた次回お伝えします!
[…] キューバ・ハバナ観光の魅力について、7つのキーワードと共に攻略! […]